食料の生産供給の状態が悪く

終戦直後には食料の生産供給の状態が悪く、飢餓や栄養失調も頻繁に起こっていた。

1946年には、アメリカから14万トンの小麦粉が送られた。

またララ物資として、食料としては小麦粉や砂糖、粉ミルクや缶詰めといった救援物資が送られた。

1954年には、農業貿易開発援助法によってアメリカの農産物による食糧援助が始まる。

学校給食法ができる。

戦後は、厚生省が栄養改善運動をはじめる。

おかずの多い食事や、食生活に小麦を使った食事や洋風の食事が普及していく。

日本食生活協会がアメリカから資金援助を受け、キッチンカーを走らせ、栄養士が欧米風の食事の実演をした。

1956年には8台のキッチンカーがあった。

学校給食はパンと牛乳となり、フライパン運動や、栄養三色運動によって、米を大量に食べる食生活から、以降急激に小麦を使った食品や畜産食品やおかずの多い食生活が普及していった。

食育への流れしかし、このようなアメリカ化された食生活はアメリカ自身も困っていた。
update:2010年05月27日